今も残る夢の跡を訪ねて
11月7日・・・。
なんとなくずっと自分の頭の中で生き続けていた気になっていたことが、その日にクリアとなりました。
何かと言えば「海底ハウス」。
その名の通り、海中に居住空間を設け、そこに陸上から送気、もちろんドライな状態で居住できるハウスです。
そんなSF映画に出てきそうなものが、約50年も前に作り上げられ、海底に沈め、そして一週間も生活したという日本男児がおりました。
その辺りのことが、この本になっています。

結局、この計画は大成功に終わり、さらに海底ハウス1号に続き、そのふた回りくらい大きな海底ハウス2号をも作り上げ、ここ平沢マリンセンターのある沼津市の三津(伊豆三津シーパラダイスのある辺り)の地先海域に沈め、一般の方々にも潜ってもらい、この海底ハウス2号で滞在してもらうというような営業をも、当時行っておられたようです。
その模様は、もうすでに廃刊となっております「ダイビングワールド創刊号」に掲載されておりました。

うわー、すごっ!!
その後いろいろあったみたいで、この海底ハウスは閉鎖となり、永く今日まで海底に沈んでおります。
ちなみにこの画像の左下が、今回のターゲットとなった海底ハウス2号の全貌のイメージ図です。
ところで、今を遡ること10数年前・・・。
自分がまだ獅子浜ダイビングサービスで働いていた頃、そこの社長である齋藤さんにこの「海底ハウス」のことを聞きました。
当時、その話を聞いて、胸がバクバクドキドキワクワクしたのを、今でも鮮明に憶えております。
いつか絶対見に行ってやろうとも思いました。
それがついに、11月7日に朝日新聞さんの取材調査という形で、実現したというわけです。
この取材に際し、改めて獅子浜ダイビングサービスの齋藤さんに話を聞きに行ったのですが、じつは齋藤さん・・・ナント!! 1号に1回、2号に2回も遊びに行ったことがあると判明。
さすが昔から時代の先取りをする男だったわけですね。(笑)
さぁそして実際の取材で潜った際の光景です。
まずは洋式トイレ。

当時にしては珍しいかもしれませんが、洋式トイレ!!
ここが海底ハウスの玄関です。

掃除機。

ブラウン管テレビのフレーム。

外部と連絡を取るための電話機やインターフォン。

残念ながら床面しかその現場にはなく、上モノはパコっと外れ、海底のどこか違うところに移動してしまっているようですが、今後必ず見つけ出してやろうと思っております。
それにしても潜ったその日は、透明度が悪かったなぁ~。
ちなみにこの取材、2号が沈む海の中だけではなく、1号が展示してある東京・船の科学館や、海底ハウスを製作した田中和栄さんのご長男・・・田中清一郎さんのところにまで及びました。


もちろん自分も記者の岡田さんに同行しました。